ハチのムサシ

第一回かわぐち健康講座講演

「平田隆夫とセルスターズ 」・「ハチのムサシは死んだのさ」
このフレーズで思い出す事が出来る方は壮年以上の方だと思う。
かつてレコード大賞を受賞した曲と知る方も少ないだろう。

私が平田隆夫さんと初めてお目にかかったのは、2003年の頃、平田さんが経営するパブスナック「ハチのムサシ」だった。
ショータイムで歌われた平田さんのカンツォーネは大腸癌の肺転移を5回も手術したとは思えないほどに見事だった。
その事をご本人に話すと、「肺の手術をする前と違って、肺活量は落ちていて、もっと伸ばせるところが続かないのです。それを歌唱技術でどうにかカバーしてはいます。」
平田さんはご自身の大腸癌闘病記を淡淡と語られた。
症状が出始めたのが1993年。痔の出血と思い、市販の痔薬を使っても治らず。
翌年の初頭に便が出なくなってからの受診だった。
検査の大腸内視鏡が入らず、技師さんから「うわぁ、これは癌だよ」
医師からも「せめて半年早ければ、ここまで来ちゃうとなぁ」とショッキングな言葉で自身の状況が悪いことを知ったそうだ。
しかし、皮肉なもので、その頃に再デビューの話があり着々と進行していたのだった。
その為に、更に手術を延ばす事になってしまった。
幸いにも遠隔転移が無かった為に手術は出来たが、術前に執刀医から家族には「諦めて欲しい」と言われるほど困難な12時間に及ぶ大手術だったそうである。
「お腹の左右に袋を2つ付けていて、トイレが大変なんですよ」と他人事の様に語る平田さんは肛門、膀胱、前立腺を失っていた。

大腸癌の再発期間は10年と言われる。平田さんも2年間は何も起きずにいた。


本因曰く、保険適応の無い抗癌剤を飲んでいたようだが、3年目に肺転移が見つかった。それから、毎年、多いときは年2回、通算5回の肺部分切除が行われたそうである。
そして、6年目に2本の肋骨に転移が見つかった。
医師は「骨に飛んだら、全身に転移しているのと同じだから・・」と呟いたそうだ。

肋骨切除の後に「もう、これでお終いだ」と思った平田さんはかつてのメンバーを集めさよならコンサートを開催した


2001年、知り合いの健康食品会社の社長からBRMstage開発品の話を聞いた。
平田さんは主治医に「先生、保険が利かない高額な抗癌剤を飲んできたけど、毎年再発してしまっていますよね、知人からの勧めで良いサプリメントがあるというので抗癌剤をやめてこれを飲んだらどうでしょうか」と聞いたそうだ。

1ヶ月後の受診日、主治医から「平田さん、抗癌剤止めてサプリ飲んでみては」と思わぬ言葉が出てきた。

それから、7年間は再発から縁が切れたが、2008年春のCT検査で両肺の真ん中、心像の裏当たりに変な影が見つかり検査入院となった。
平田さん曰く「10日間で病院中の機械を全部使ったのではないかと思われるような検査が続き、毎日、入れ替わり立ち替わりで医師が見に来た」そうだ。
そして、結論は「開けて見ないと分からない」であった。

暫くして、獨協医科大学の外科教授だった赤尾先生を紹介され診て戴いた。
赤尾先生はCTと胸部レントゲンで「平田さん、これは癌じゃないよ、袋みたいなもので中に血液か水みたいなものが入っているだけだから早めに取った方が良いだろう」と言われた。
平田さんは笑顔で「分かりました、即、手術を受けます」と答えた。
その場に居合わせた私は平田さんの喜び様に不思議な気持ちになった。
何でこの人は手術を喜んでいるのだろうか?
何気なく平田さんに聞いてみると「これが再発ならもう何もしたくない、何もせずに運命を受け入れたい。でも、癌でなければ手術して生きたい」平田さんはそう思っていたそうだ。


2008年7月20日、第一回かわぐち健康講座で平田さんは術後からさほど日が経っていないのに、ご自身の癌闘病記を明るく語ってくれた。

しかし、術後の生検結果に皆が驚く事になるとは、この時点で誰も予見できなかった。


赤尾先生から「平田さんの言っていることが分からないから、誰か一緒に病院へ行ってくれないか」と言われ、学術担当の私が同行する事になった。
時は2008年8月19日。
平田さんの主治医はガッチリした体で声も大きく威圧感が漂っていた。
「付き添いの人は誰、この人に聞かれても構わないのか」と怒るように言います。
平田さんは、「聞いて貰うために来て貰っているから、全部話してください」と冷静に言うのが対称的だった。
「先生、脂肪肉腫と平田さんから聞きましたが、分化度はどれですか」
「え~、一寸待って・・」と分厚いカルテを捲って、「ああ、高分化型だね」

高分化型縦隔脂肪肉腫、それが病名だった。
再発・転移でもなく、袋でも無く、大腸癌とは無関係な良性腫瘍。

「ところで、平田さん。放射線のT先生は何て言ってた?」と主治医
「T先生は遣っても良いですよ」と言ってました。
「へえ、T先生遣るんだ」と主治医。
自分で放射線のT先生に依頼しておきながら、「遣るんだ」とはどういう考えなんだろう。

「先生、高分化脂肪肉腫に放射線当てても効果ありませんよね」と私
「そうなんだよ。それでもT先生遣るって言うんだ」
「ところで、化学療法は何をお考えなのでしょうか」
「とりあえず、アドリア単剤で考えてる」
「アドリア」とはアドリアシンの事で抗生剤系統の赤い色の抗癌剤で肉腫の場合の第一選択はこの薬が多い。
「アドリア使っても一時的に僅かに縮小ってところでしょう」
「そうなんだよ、だから何もしないっていう選択肢も有るけど、患者が何かして欲しいと言うのに何もしないのは可哀想だから・・」
「先生、平田さんは何かして欲しいなんて頼んでいませんよ」
「あっ、そうなんだ。それだったら何もしない方が長く生きられるかもしれないな」
やばい、こんな話を聞いたら平田さん何と思うだろう。
そう思い、隣の平田さんを覗き込むと微笑んでいる。
この人、尋常では無く凄い人だ。治療法が無いと聞いても、落胆するどころか微笑んでいる。
何が平田さんを強くさせているのだろうか?
何度も再発転移の手術を乗り越えてきたからの強さなのだろうか?

主治医と面談は何もしないことがベターだと決まった。

帰り際に、平田さんが「今まで調子が良かったので、少なめにしていたんだけど、肉腫って言われてから真面目に量を戻したんです。そうしたら、少し画像が小さくなったようなんです」それで微笑んでいられたんだ。
本当の事が聞きたいので、主治医の面談に付き添ってきたのだから、嘘はマズイが、本当の事を言うのも憚れる。
一瞬の迷いの後に、「平田さん、高分化脂肪肉腫って基本的には良性の腫瘍なんです。
でも、その中で変異してしまって悪性になる輩もいます。悪性の部分だけ縮小しても良性の部分が大きくなってしまうんですよ」
また、谷底に突き落としてしまっただろうか?と平田さんを見ると、変わらない。
この人、どれだけ凄い人なんだろう。


病名が確定してから、手術出来るドクターは居ないか。海外での文献は無いかと奔走したが、何も見いだせないまま、月日は経った。

平田さんには在宅酸素を行っている医師を紹介した。
酸素を入れると楽になったようである。


2010年12月。平田さんの呼吸改善の為に化学療法を赤尾先生がする事になった。
処方はイリノテカンの低用量。しかし効果は得られなかった。
ご子息から「何か他の抗癌剤ってあるのでしょうか」と問われた赤尾先生は「他にも有ることはありますよ」と曖昧な返事をしたようだ。

それから数日の後に赤尾先生から電話があった。
「ご子息から別の抗癌剤有るかと聞かれたので、有ると返事しちゃったけど、持って今年いっぱいに思えるんだ。そんな人に抗癌剤なんて使ったら危ない。だから冨田君から断っておいてください」

了承はしたものの、これに類似する局面を何度も経験してはいるが、気が重い仕事である。

約束の日時にご子息は来店された。
しかし、予想だにしていなかったのは平田さんもご一緒だった事だ。
本人を前にして話せる内容ではない。
こういう時は、ズバリ本題に入るよりも代替案を出してからの方が当事者の気持ちは和らぐものだ。

私は「変わったお茶なんですけど、飲めるかどうか試してください」とイペロアをお湯で溶かした湯飲み茶碗をお二人に差し出した。
二人とも「美味しいとは言えないけど、これなら飲めます」

「実はこのお茶はイペロアと言って子宮筋腫などの良性腫瘍に効果があるそうなんです。
平田さんの縦隔脂肪肉腫も良性のものだから、もしかすると、小さくならなくとも大きくなるスピードが遅くなるかもしれませんよね。」
二人とも真剣に聞いてくれている。
「良性であろうが、悪性であろうが、腫瘍は大きくなったりしなければ、人は死なないと思うんです」と続けた。
これは素人を騙す詭弁で、実際には肝臓癌が消えても門脈圧亢進症が既に起きていれば食道や胃に静脈瘤が出来ていて、いつ破裂するか分からない。食道癌で気道と食道が交通していれば、いつ誤嚥性肺炎で駄目になるかもしれない。挙げれば切り無いがほどリスクはあるものだ。
でも、余命の少ない人を目の前にして、そんな事は口が裂けても言えない。

それから、本題に入った。
「赤尾先生から連絡がありまして、ご子息に別の抗癌剤の事をお話ししたけど、今の平田さんの体力ではマイナスが有っても、プラスは無いだろう。従って今は抗癌剤を使うタイミングでは無いと思う」と伝えた。

二人ともイペロアへの関心が高かったようで、本題には「そうかもしれません」と簡単に納得して戴けた。

そこで、イペロアの分包を1ヶ月分袋に入れて「これは期限が切迫して売ることが出来ない商品になってしまったんです。でも、平田さんならこれから直ぐに飲んで戴けるので期限内に消化出来ると思うんです。」

ただで、貰うわけには行かないと言われる平田さんに、「もう期限切迫で販売することが出来なくなった品です。現在、当店では肉腫や筋腫の方は居られないし、暫くすればゴミ箱行きのものですから、気にされないように」

内心では今年いっぱいの人が1ヶ月飲めるのだろうかと疑問を持ちながらであった。


翌年の1月半ばに平田さんの奥様から電話が有った。
いつも、電話では感情を表さない方だから訃報かなと思いながら、奥様の話を聞いた。

「お陰様で、戴いたお薬がよく効いて・・・」 年は越せたのだな
「もう暫く続けたいと本人が言うので、送って戴けませんか」

えっ、まだ生きてたんだ?
恐る恐る「平田さんのお加減はどうなんでしょうか?」と聞くと
「酸素のチューブは離せませんが、最近は作曲するんだとピアノの前で頑張っていますよ」
それから、何度か注文が有ったが、4月の終わり頃に飲む分が無くなるはずなのに注文が来ないので気になって電話してみた。
すると、奥様から病状は変わらないが、人から薦められたなんとか水と言う物を飲み始めたから、注文しなかったとの事だった。


訃報が届いたのは2011年6月12日。
イペロアが本当に効いたかは定かでは無いが、余命が6ヶ月以上も伸びたことは事実だろう。なんとか水に変えなければ、もう少し生きられたとも思えない。
別の脂肪肉腫の患者ではイペロアは無効だったことも鑑みると、イペロアは平田さんに生きる希望を与えたかもしれないが、平田さんの生きて作曲を続けたいと思う気持ちが延命させたのだと思う。


2008年の講演で平田さんは「効かない人には効かないかもしれませんが、効く人には効くんです。」と言われた。その深意を今となっては聞くすべもない。
約束通りに大腸癌の再発は10年防げたが、魔法の薬やサプリなど存在しない。
天国の平田さんは「これも運命ですから」と笑顔で言ってくれてるのだろうか。
出来ることなら、もう一度あの歌声を聞いてみたいと思う方も少なからず居るだろう。

作曲家・歌手:平田隆夫 享年72歳 本当に凄い人だった!

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